現代における「ベストセラー」商品の消費者が、じつはきわめて狭い閉鎖領域に囲い込まれた、一種の「マイノリティ」と呼ばれるべき人たちである可能性はきわめて高い。比ゆ的に表現するならば、20世紀という「大量生産・大量消費」の時代を象徴する氷山の大半はすでに海に溶け出しているにもかかわらず、最後まで溶けずに残っている頑固な氷塊のようにして、いまなお「数百万」という単位の人々が、「20世紀」の中に取り残されているのではないだろうか。この記事は印象に残った。
これらの「数百万人」の人々のことを、はたして現代の「大衆」と呼ぶべきだろうか。「量」を質や力に転換できない以上、彼らは決して「多数派」ではありえない。個々人としていかに少数派の悲哀を叫ぼうとも、数千部しか刷られない本を読み、数百~数千枚しかリリースされないCDを聴くことで満足できる洗練された趣味を持つ人たちのほうこそ、総体としては社会の「多数派」といえるだろう。なぜなら彼らの多くは、メディア業界の中におり、あるいはその外部にいるとしても、みずから声を発する手段を持っているからだ。
(仲俣暁生 「大衆」の時代の終わりに「リトル・ピープル」はどこにいる?/ミュージックマガジン2月号)
00年代ってなんだったんだろうというもやもやした感じが最近なくなりつつある。
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